佐々木選手問題

大船渡高校の佐々木選手が岩手県大会決勝で登板回避したことで、各地でコメントが起こっていて高校野球がいい方向に進んでくれればいいなと思う。

 

プロ入り間違いなしの佐々木選手の将来を考えて決断した監督は素晴らしいと思う。

 

根性論

 

根性論、選手生命どちらを優先するのかで結論は違ってくると思うが、どちらの主張としてもプロに行って頑張って欲しいという励ましがあるのではないか。それが正しいとは限らないが。

 

私は根性論が大嫌いなんだけれど、根性論を好きな人は一定数いる。上の世代でよく見るが、根性論肯定派の人は根性で結果を出してきた、根性が当たり前だったという人たち。

時間を費やしたり、負荷を掛けたりすること自体を否定するわけではないけれど、過度にやりすぎると身体・精神どこかが壊れてくる。

それは根性がない、甘えだと言う人は運が良かったか、それほど深く考えていないか、もしくは壊したうえで同じ苦しみがなければ成功しないと考えているかのどれかだと思う。

 

 

高校野球というフィールド

 

佐々木選手が4回戦で194球を投げたのは素人目線でも大丈夫なのかとヒヤヒヤしたが、翌戦では一切投げずに勝ったそうで安心した。一昔前の価値観の監督なら、登板させていたかもしれない。

 

高校野球という一部の超強豪校以外はリソースが限られている環境で、何を優先するかは学校によって違って当たり前だ。甲子園優勝、人格形成、思い出づくりなど、なんでもいいと思うが選手の安全確保の上で行なって欲しいと思う。

 

高校野球でエースが登板過多になるのは理解できる。勝つためだ。極端な話だが、絶対にアウトを取れるピッチャーが絶対にホームランを打てるバッター(そんな選手はいない)なら試合に出場させ続けると答える人がほとんどではないだろうか。

大船渡の佐々木選手はそう感じさせるほどの逸材なのである。しかし、監督は勝つ確率を上げるよりも佐々木選手の故障リスクを重く見て登板回避を選択した。登板させていれば勝てたか負けたか、そんなことはわからない。しかし、佐々木選手を登板させていれば将来的な故障リスクは上がっていただろう。

 

甲子園という感動物語

佐々木選手登板回避で憤りを表している人たちは、甲子園至上主義や根性至上主義が染みついているのではないか。高校球児は甲子園のために頑張っているという側面は確かにある。一定以上の実力を持つ選手にとって甲子園優勝を目指すというのは、なんら不思議ではないのだ。それを観客側も当然だと思っている。

選手なら勝ちたいと思うのは当然だし、そのための努力は怠らない。正しい努力(やりかた、量)を理解するのも選手の能力の一つではあるんだけれども、知識・身体が発展途上であるからこそ監督の言葉は重要になってくる。

強豪校で監督が甲子園で勝たせることを最優先させなければ非難される。それが選手を壊す判断ならば、今後は世間から非難される風潮が出てきている。

チームメイトのことはどうでもいいのかと言ったりする意見を聞いたが、自分たちのために登板して選手生命を終わらせたらそれこそどんな顔をしていいのかわからない。

 

甲子園改善されろ

球数制限、試合間隔の改革はもちろん必要なんだけれども、朝日新聞もビジネスなので自分たちの不利益になることは限界まで目をつぶろうとしている。登板中に選手が熱中症になるくらいじゃないと、おそらく少ししか変わらない。選手の安全を考えるのならば複数球場での試合が必要になってくるその時に甲子園信仰が足かせになってくる。

吹奏楽の世界で甲子園に値する普門館という会場があった。天井崩落の危険性があり数年前に使用できなくなり、名古屋国際会議場に変更された。収納人数は減ったり、東京から遠くなったりとビジネス的にいいことはおそらく何もなかったんだけれども、安全性という一点において変更せざるを得なかった。

甲子園もそれぐらいの危機がないとおそらく抜本的に変わらないんだろうな感じている。